今夜だけでも有頂天に

ハイスペ女子と恋愛したいアラサー零細自営業者の活動記録です。

29歳ちょいぽちゃ辻希美似Fカップ保育士、とのアポ

街コン合流から2週間後。
その時出会った子との新規アポ。

相手は29歳の保育士。
ちょいぽちゃ、辻希美似B⁺。
肉感的で俺が好きなタイプだった。

アポ場所はいつものエスニック料理店。
久しぶりに会った辻ちゃんは、
生地薄めの七分袖ニットに、
大ぶりな胸がくっきりと浮かび上がっており、
それを見ると、今宵は絶対にゴールしたいと決意を堅くした。
思えば新規ゴールはバレンタインデー以降遠ざかっており、
また、NMB渋谷凪咲ちゃん似の子から4月に振られてからは
セックス自体がご無沙汰だった。

さて、お店に入って、この間の街コンを振り返っていたが、
彼女は主催者の紹介でサクラとして参加していたとのことだった。
まあそれ自体にはそれほど驚かなかった。
街コンには、こうしたサクラが多いところ、
タダ券がばらまかれているところ、
ネットワークビジネスの巣窟となっているところなどが結構あるのだ。
ただ、俺はやる気ゼロで来たはずのサクラの子を
トークによってアポイントの場まで引っ張り出してきたのだ。

1軒目では、様々なブログやメルマガから拝借した
トークスクリプトを要所要所に織り交ぜながら
場を穏やかに、暖かく進行していく。
街コンからのアポで使えるのは、
例えば、他の子と会ったりした?と聞かれたときには、
「誘われたから行ったけど、話してみて合わないと思ったから1軒目で解散した。
俺はいいなと思ったら2軒目も自分から誘うし…」
ということを伝えると、女の子も私は誘われるのかしら、
変なこと言って引かれたらどうしよう、と気にするため
その場の主導権をこちらが握ることができる。

1軒目を出ると、家打診は明らかに早いため、
2軒目に新宿の夜景バーに移動。

ここでも俺はギラつきやハンドテストはせずに
穏やかに場を進行していく。
そしてバーを出たところで家打診。

「今日終電まで帰れば大丈夫だよね」

「うん」

「じゃあ〇袋に行ってもう少し飲もうよ」

「う、うん」

この時点で家に行くとは伝えていないが、
ひとまずタクシーで移動することに。
そして、家の近くのコンビニの前で降りる、

「アイスとかお酒買っていこうよ」

「どこかにお店に入るんじゃないんだ…」

俺は聞こえないふりをした。
彼女もそれ以上聞かなかった。

コンビニを出るとノーグダで自宅イン。
そして、部屋の中へ。
ソファに座って本棚を見てああだこうだ言っている。
久しぶりの新規ゴールを前に俺も緊張した。
相手は29歳のアラサー女性だ。
あっさりとゴールが決まるか、長いグダがあるだろう。
いや、それは年齢に関係はないか…。

俺もソファの横に座る。
手かして、といって手を握る。

「こういう風に握られるとドキドキする?」

「うーん、別にしないかな笑」

おいおいと突っ込んで、なごむ。
肩に手を回す。ノーグダ。

キス。グダ。
しかし、明らかに形式的なものだった。
力は全く入っていない。
それでもグダ崩しに15分ほどかかった。

そして、約3か月ぶりとなる新規ゴールを決めた。
2018年3ゴール目。

辻ちゃんはFカップだった。
スイッチが入った彼女は、自分から
その持て余すような胸でパイズリしてくれた。
ーそれが実際に気持ちいいかは別としてー 献身的な子だった。
やはり保育士だとか看護師はこうなのだろうか。

俺も久しぶりのセックスに盛りがつき、
しっかりとア〇ルまで舐めつくし
3回戦まで敢行した。

結局泊っていって、翌朝はファミレスで一緒にご飯を食べた。
しかし、当日別れた後にラインのやり取りをしただけで
その後はお互いに連絡をとっていない。
俺もまた会いたいと特に思わなかったし、
彼女の方もまたしかりである。

今年ゴールした子とは全員そんな感じだ。
俺からも連絡してないし、向こうからも来ない。
もちろん相手から連絡が来たら会うし、
さくっと飯食ってエッチできたらベストだが
現実はそうなっていない。
やはり瞬間的に相手を魅了することと
関係を継続させることは別物なのだ。
単純にエッチが下手なのかもしれない。
ア〇ルまで舐めつくしているのが問題かもしれない(笑)。

いづれにしても、いい歳してこうした繰り返している俺は
軽蔑される対象であろう…。完

街コン合流、おーい、俺はここにいるよ

5月某日の街コン。
いつものハピスマ。立食パーティー。

ただし、この日は、ブログを見てメールくれた方と、
会場で新規合流予定。

新規合流申請、これが存外に嬉しい。
俺のこのブログを見て、何かしら共感するものや、
面白さを感じ取って、わざわざ連絡してくれたわけだ。
結局、ブログでこうやって発信している、
それも具体的な名前を挙げて、っていうのは
誰かに俺という存在を発見してほしいからだ。
おーい、俺はここにいるよ。

会場で合流した彼は、見るからに知的そうだった。
そして物腰も柔らかい。彼に悪い印象を抱く人はいないだろう。
実際、有名大学を卒業し、超一流企業にお勤めされていた。
これには当然、インフェリオリティーコンプレックスの
極地にいる俺は面食らってしまった。
しかしだ、ここは俺の主戦場。
街コン会場、立食パーティーだ。
プロフィールカードに年収を記入する婚活パーティーではない。
肩書は同じような属性にいる女性か、
一部の勘違いしている女性にしか刺さらない。
保育士や看護師、ゆるふわOLが大半の街コンでは
最低限の身だしなみとトーク力さえあれば
誰もがスタートラインは一緒なのだ。(イケメンはもちろん有利だが)。

さて、挨拶もそこそこに、
(思っていたよりもさわやかですね、と言われた笑)
次の瞬間には、立食パーティーでの戦い方を偉そうに語っていた。
日頃から溜め込んでいる街コン理論を、
誰かに語りたくて仕方なかったのだ。
しかし、思うのだ。
俺には気持ち良く語る資格があるのではないかと…。
去年はハピスマに月に1,2回参加しただけで
30人もの女性とアポ組みできた男だ。
(ゴールできたかはまた別にして…)。
俺は知っている、ここに参加している男の大半が
アポ組みすらできずに散っていることを…。

いつまでも街コン理論にくだを巻いている訳にはいかないので、
まずは声掛けの前に、不自然にならないように2人の関係性を創作する。
会社のコンペで知り合ったという設定にしたが、
実際にそういうものが会社人にあるのか俺はよく知らない。

準備万端!いざ声掛け。
といっても、基本的に導入後すぐにセパレートする戦略だ。
当然のことながら、俺が話しかけたいタイプと
エリートさん(他に呼びようがないほどエリートだった)が話しかけたいタイプ、
話してみて波長が合うなと思うタイプも異なるため、
お互いにないなと思ったら、早々に切り上げることを良しとする。
合流してコンビでいくといっても基本は自主独立だ。
しかし、考えてみると、相方が盛り上がっているのなら、
たとえセパレートしてこちらが盛り上がってなくても、
相方がこの先ゴールすることを考えて、
俺が話している友達にも好印象を残すために最善を尽くすべきなのだ。
こうした協調性のなさに俺の人間性が現れているのだろう。
限られた時間のなかを有効的に動きたいと自分本位に動いてしまう。
友達が少ない原因はこうしたところにあるのだ。やれやれ。

さて、声掛けの導入部分は、色々偉そうに語った手前
当然こちらがリードすることになった。
いつもよりもテンション高めでグイグイいく。
横にいるエリートさんの反応をちらちらと伺いつつも、
俺自身も観察されているなと思ったら自然に力が入った。
エリートさんはこれまでも街コンに
何度か参加したことがあるようで
自然とセパレートしてくれて有難かった。

合流申請してくれた方と一緒に動けるのはなんだか心強い。
実際、去年からハピスマに行きすぎているため
今では会場で誰かしら知っている人に必ず会うし、
その場で即席コンビを組んだり、
無駄口をたたきあったりしてるのだが、
俺のブログのことは一切話していない。
沈黙は金というわけでもないが、
ペラペラ話してもいいことがないだろうし、
彼らがほとんど結果が出てないのも知っているからだ。
それに対し、エリートさんは、ブログを通してであるが、
俺がどういう人間であるか知っているし、
どういうスタンスで街コンに臨んでいるか知っているため、
気兼ねしないというか、格好つける必要もなく、
より実際的な行動をとることができた。実際的な行動…?

約2時間、コンビでいったりソロでいったりを繰り返していたので、
エリートさんがどのくらいの成果を残せたのかは分からない。
俺はというと6人とライン交換し、
ラインやり取りできたのが2人、
アポ組みできたのが1人という結果だった。

この日は二次会連れ出しに注力しなかったため、
会場を出て2人で反省会することに。
表参道屈指のおしゃれバーに入ったが、
テーブルチャージ1000円にたじろぐ俺に対し、
そんな気配は微塵もないエリートさんに人生の差を感じた…。
彼は準準即スタイル、つまり最初に街コンに参加し、
後日2回ご飯に行って十分に関係性を作ってうえでゴールを決める、
そのスタイルで結果を残しているようだった。
いまの俺は初回アポでゴールできなかったら
損切りする(される)スタイルを採用しているが、
当然時間をかけるとゴールできた案件も多々あるため、
彼の戦い方はも傾聴に値するものだった。

互いに再会を期して改札で解散した後、
やはり語りすぎたな、と寒々しい気持ちになった…。

そしてまたいつものひとりぼっちになった。
虚しい日々に戻るのだ…。

 

青春の記憶 ~ある個人的なナンパ史~

bukuro青年、二十二歳の頃の話である。

大学中退後、フリーター生活を続けていた青年であったが、いくら人生のレールから完全に脱線したとはいえ、このまま最終学歴中卒として生きていくほどの度胸は持ち合わせておらず、通信制大学に入り直し、幾分かの人生の立て直しを図っていた時期である。

 

青年は、東京の深夜の街を、自転車で疾走していた。目指す先はマクドナルド、通称マックである。そこで、朝まで時間を潰そうとする女性に声をかけるのである。ナンパしようというのだ。

青年は、長きにわたりひどく孤独だった。彼はこの時分、ハロヲタ活動、バイト、通信制大学、この三つを生活の中心としていた。

唯一の趣味といえるヲタ活動では、現場での知り合いはだいぶ増えて、コンサート終了後にそのまま居酒屋で打ち上げ的なことも慣行していたが、人間関係は当然の如く希薄なものであった。バイト先では、何分これは短期のうちにいくつものバイトを転々とするものだから、人間関係の構築など望むべくもなかった。通信制大学でもこれまた、スクーリングはせいぜい月に一度か二度しかないため、知り合いと呼べるような人すらできなかった。余談であるが、通信制大学には文字通り多種多様な年齢層、職種の方が通っており、勉学意欲に溢れた社会人とテーブルを囲んで授業を受けるのは、それなりに楽しかった。スクーリングは土日の二日間にわたって行われ、班を作り、グループワーク的なことをし、日曜の最後に班で発表するという形式の授業が大半であったが、乏しい社会経験と甘な了見しか具えていない青年には、その場を取り仕切ってくれる社会人学生の存在は随分と頼もしく思えた。加えて、これは青年のみが勝手に思い込んでいたに違いないが、ここに通っている人はみな学歴に傷を持ち、劣等感に苛まれているのだと思うと、なんだか同志のような気がして、居心地が良かったものだ。しかし、わずか二日間のつながりでは、それほど打ちとけることもできず、また懇親会などもあったが、結局はプライドが人一倍高い青年は、懇親会会場で大の大人が馴れあっている、自分と同様に繋がりを持とうと躍起になっている大人の、そんな光景を目にして、なんだか低レベルな集まりだなあ、と自らその機会を遠ざけてしまったのである(先に述べたことと矛盾しているが…)。

こうして、どこにも身を寄せるべき場所を持たない青年にとっては、同世代の女性と接点を持つためにはナンパをするしかなかった。ナンパに関しては早熟なほうであった。記憶の限りでは田舎に住んでいた十五、六歳の頃には地元の花火大会などで他校の生徒に声を掛けたりしていた。どうして、そのようなことをするに至ったのか定かではないが (いや記憶の限りを掘り起こすと、ロンドンハーツのスティンガーというホストによるナンパものの企画をみてを触発されたのかもしれない)、兎にも角にもわりとフランクに女性に声をかけることはしていた。そのため、高校を中退して、上京してからもナンパは続けられ、十代が同じ十代に声をかけるものだから、ガンシカされることは少なく、なかなかに上手くいくこともままあった。

さて、そんなある日、たまたま吉祥寺のマックで、深夜一時半すぎ、一人で音楽を聴きながらぼうっとしていた女性に声をかけたところ、あれよあれよとカラオケに連れ出し、即れたことがあった。それ以来、なるほど深夜のマックはなかなかにザルである、満喫に入る金さえない、乞食じみた女性なら簡単に連れ出せる、と妙なことを心得てしまったのだ。それからである、深夜のマックに通うことが習慣となったのは。

当時のマックには寛容さがあった。二十四時間営業の店舗では多くの場合、客席も開放しており、朝までコーヒー一杯で過ごすことができた。それがいつの間にか、経営上か、防犯上の理由かは知らないが、繁華街でも深夜は客席を閉鎖する店舗が増えていった。

青年が持ち場としていたのは吉祥寺か渋谷である (新宿や池袋にもたまに行ったが)。吉祥寺には三店舗、渋谷には (たしか) 四店舗、朝まで客席を開放していた店舗があった。深夜零時頃にその地に自転車で到着すると、まずは終電間際の駅前をぶらつきながら声掛けし、そして一時をまわると、各店舗に赴き、マックで朝まで過ごすことを決め込んだ女性がいないかと、店内をチェックする。該当する女性がいればすぐに声掛けし、いなければまた街中をぶらつきつつ路上で声を掛け、また適度な頃合いをみてマックに戻る。レジの前を素通りし、何も買わずに客席に向かう、また机に突っ伏して寝ている女性の肩をたたいて起こす、といったふてぶてしさも自然と身につけていった。

深夜の店内には、もちろん浮浪者風情のものから、いつも勉強している若者、険しい顔をして岩波文庫を読んでいる老齢者など、毎回見かける顔があり (当然男だが)、何人かはその存在がどうしても気になり、こちらから声をかけることもあった。渋谷の店舗で三日続けて両親と小さい子ども二人の四人家族を見かけたときは都会の闇をみた。

こうした活動は二十五、六歳まで続いていた。それなりに成果もあったが、引っ越しや、深夜の客席を閉鎖する店舗が相次いだこと、体力的に深夜に動き回ることがきつくなってきたことから、徐々に足が遠のいていった。何よりも歳を重ねることで、自分がこうした活動をしていることが情けなく、惨めに思えてきたのだ。

それでも、今でも週末の夜になると思い出す。あの頃の深夜の空気を。都会の喧騒がひと段落し落ち着きを取り戻した街の空気、そしてマックの店内の物寂しい雰囲気。成果がない日も多く、ただブラつくだけで家にとんぼ返りする日もままあったが、それほど虚しさは感じなかった。むしろ清々しささえあった。思えば同世代の大学生はサークル活動や、就活、卒業旅行などを通じて青春の甘美を享受しているというのに、自分は昼夜逆転した生活のなかで、深夜に一時間もかけて自転車を漕いでナンパしに行くことを楽しみにしていたのである。お気に入りの音楽やポッドキャストを聴きながら (これは現在では法令上禁止されているし、実際上も危険なのでやめたほうが賢明である)、今日はいいことあるといいなあ、と漠然と考えながら、かの地に向かう道のり、そして街中やマックをぶらついている時間が好きだった。

しかしである、清々しささえあったとうそぶいてみたものの、駅前でバカ騒ぎしている同世代の大学生風情グループを見かけると、やはりというべきか、病的なまでの嫉妬心で彼らを眺めていたのだ。それでも、自分はまだ二十代前半であるし、人生の再起動中であり、これから通信制大学から正規の (という表現は厳密には間違っているが) 大学に編入学することで、青春を謳歌する資格が残されているのだと自分は奮い立たせていたのである。

もっとも、本当に自分がいかに時間を無為に過ごしてしまったのか、と気づくまでには、もう少し時間が必要であった。そして、気付いたときは既に手遅れであった。青年はその後、無事に、とある大学に編入学することになるが、それまで、まともなコミュニティーで揉まれる経験がなかった青年は、他者との折り合いや距離感をうまく掴むことができず、そのうえプライドだけはどこまでも誇大化していたため、周りから疎まれる存在となるのであった……。

これは、まぎれもなく、bukuro青年にとっての、二十代前半の、青春の一小節である。

青春の記憶 ~ハロヲタだった時代~

bukuro青年、二十歳の頃の話である。 

これまで何度か述べてきたように、とある事情により高校と大学をそれぞれ中退し、齢二十歳にして最終学歴中卒という、人生の敗北が確定的になったbukuro青年であるが、底辺を這うような生活をしていた彼の、数少ない楽しみの一つがハロー!プロジェクトのコンサートであった。特にモーニング娘。を追いかけていた。死ぬほど憧れていたキャンパスライフが砂上の楼閣となったことで、行き場のなくなった情熱はアイドルに向けられていたのである。 

当時はまだAKB48がデビューする前後であり、アイドルといえばハロプロ勢の天下であり、モー娘も全盛期の勢いは後退していたとはいえまだまだ人気があった。 

アイドルの応援スタイルを現場系と在宅系に分けるとすると、bukuro青年は完全に現場系の人間であった。コンサートやイベントに行ってはメンバーを直に見て楽しむことを主としていた。

かつてのハロプロのコンサートには自由があった。糞席でヲタ芸するもの、振りコピに興じているもの、地蔵するもの、良席で推しジャンするもの、最前列でボードを使うもの。最近のアイドルのコンサートのように全員が同じペンライトを持ち、手を上下させるだけのマスゲームじみたものとは一線を画していた (いまのハロプロ事情は知らないが) 。

bukuro青年は良席でコンサートを見ることを喜びにしていた。良席とは具体的な定義がある訳ではないが、概ねホールコンサートでは5列目以内であり、なおかつMCでメンバーが横一列に並ぶ際に推しメンの正面0ズレの位置を確保することが重要であった。以前たまたまファンクラブチケで2列目が手に入り、推しメンのカラーTシャツを着ていたらレスをもらったことがきっかけとなり、その後メンバーに認識してもらいコンサート中にレスをもらうという行為にすっかりハマってしまったのだ。

AKB48が登場する前のアイドル現場では握手会のようなメンバーと触れ合える機会はほぼ皆無であり、彼女たちに顔を覚えてもらうにはコンサートに、それも良席に足繁く通うほかになかった。モー娘でも年に一回ハワイツアーというメンバー全員と握手でき写真も撮れるというイベントがあったが、その折は参加費 (たしか十数万) を用立てすることができなくて毎回参加を断念していた。これは当時ハロプロの頂点に君臨していたイベントであり雑誌ブブカなどでも特集されていた。

モー娘のコンサートツアーは春と秋に行われるのが常であり、その公演数は多く、10都市20~30公演ほど行われていた。bukuro青年は新幹線で行ける仙台、新潟、名古屋あたりまでは遠征もしており、ひとつのツアーで10~12公演ほどは5列目以内の良席で入っていた。 

チケットは毎回ヤフオクで購入していた。ここ数年で電子チケットが一気に普及したが、かつてはコンサートの1、2週間前にチケットが発送されると、その後一定量ヤフオクに出品されることになっていた。そのため良席であれ糞席であれ金さえあれば入手することができた。当然転売屋が利するシステムだが、金があるものが良い席を手に入れられる、これはこれで理にかなったものだった。

もっともフリーターとして生活に困窮していたことが想像に難くないbukuro青年が、なぜに毎回3~5万のチケットを落札でき、遠征費まで工面できていたかというと、彼自身も転売で稼いでいたのだ。少なくともヲタ活動に関しては完全に自給自足していた。
ファンクラブ枠を12枠ほど所有しており、チケットが手に入るとたとえいい席であっても自分で入ることはなく、一旦すべて売りに出して、時間が有り余っていたことをいいことに複数アカウントで自作自演で値段を釣り上げてはシコシコと小銭稼ぎに勤しんでいた。そして同時に自分の納得いく席を落札するのであった。 

おかげで推しメンにも認識された。曲中に指差ししてもらうことが至福の瞬間だった。現実世界では奈落の底に足を引っかけていた彼も、この時は彼なりにも充実した時間を過ごしていたのだ。

しかし、その至福の時間も最後は身から出た錆により終止符を打つこととなったのである。ヲタ活末期時はコンサートよりも移動の入り待ちや出待ちにウエイトを置くようになっていたのだが、そこでメンバーに対しある破廉恥な行為をしてしまったのだ。そしてその日は名古屋に遠征していたが、コンサート中に、モー娘の現場警備責任者であった、通称いっこく (なぜいっこくと呼ばれていたのか忘れてしまったが、いっこく堂に似ていたからだろうか) に「荷物まとめてこっちこい!」と威圧的な口調でいわれると、人気のない階段の踊り場のようなところに連れ出されて、そのいっこくとよく分からないお偉いさん2人に自らの行為について糾弾されたのだった。半泣きの状態で最後は土下座し許しを請うも、許されることはなく名古屋まで遠征したにもかかわらず夜講演のチケットを没収され(名目上は転売で購入した他人名義のチケットを所有していたため)会場から追い出されてしまった。 

どこまでも自業自得のなせる業ではあったが、普段はロンリーウルフを気取り、自分には失うものがないとばかりにクレームはもちろんのこと、街中で肩がぶつかったどうかで言い争いになることも厭わない気性のbukuro青年であったが、大のおとな3人に凄まれ、大好きだったハロプロのコンサートもこれまでのように楽しめないのかと思うと、さすがにしょんぼりしてしまい、以降は現場から足が遠のいてしまったのである。

あれから10年。今でも当時を懐かしむようにハロプロの楽曲をよく聴いては、感傷に浸っているが、そこでふと思うのだ。自分にとってのこの10年とはまるで空虚であったと。こうして振り返られる思い出すらないのである。無為に過ごした歳月。あの頃の熱狂が懐かしい。神田川ではないが、何もこわくなかったあの頃。失った時間はもどってこない。空白の10年。虚しさを抱えた日々だけが続いていく…。

バレンタインデーゴール -24歳巨乳ジャニ&K-popヲタ-

春…出会いと別れの季節。

 

もっとも俺にとっては残酷な季節である。

高校と大学を共に中退している俺にしてみれば
卒業や入学、入社など着実に人生のレールを歩んでいる同級生に対し
明らかな人生の出遅れを否が応でも実感せざるを得ないからである。


同級生が大学生活を始めた18,19のとき俺は何をしていたか…
たしか新聞配達をして、それも何度もすぐにやめて店を移ってを繰り返し、
たまに行くハロプロのコンサートを楽しみに生活していた。

新歓やらで駅前でバカ騒ぎしている大学生をどれだけ羨ましく思ったものか…。

当時住んでた家の近くには小さな公園があったのだが
そこで花見をして騒いでいる大学生風情がいれば
すぐに警察に通報して撤退させたものだ…。

そういうことをしていたからか、
俺の偏狭的な性格がそうさせるのか、
はたまた俺が酒を飲めずノリが悪いからなのか
(おそらくすべてが原因だと思われるが)
これまで大人数で花見ということをしたことがない。
つまり大きな公園に行ってブルーシートを敷いて
各自が食べ物や飲み物を持ち寄ってというあれだ。
その後、歳を経てから再入学した大学生活でもついぞ誘われなかったし
卒業後もそのような機会は皆無であった。
とはいえ下戸中の下戸の俺はそもそもが飲み会嫌いでできており、
実際誘われても、嬉しいが行くかどうかは別問題ではあるが…。

このように桜を見ると散々な思いをしていたが、
実は昨年来より再開した恋愛活動のおかげで
2年連続で既存女性と上野公園に花見に行くことができた。
去年は処女の萌乃ちゃんと行き、今年はNMB48渋谷凪咲似の子とだ。
2人とも20代前半であり、これは自分の不遇の20代へ
一種の復讐を果たしているようで多いに満たされたのであった…。

 

直近のアポ。 

2月14日バレンタインデー。

24歳女子大卒、AKB48込山榛香微似B⁻推定Eカップ。
出会いはハピスマK-popが好きだということでアポはすんなり新大久保に。
最近行きつけにしているお店に入ると、バレンタインなのでと手作りのチョコをくれた。
職場でも配ったものだろうが、彼女の心遣いが嬉しかった。
仕事は歯科医院の受付。
わざわざ大学まで出て高卒でもできる医療事務とは…。親は何とも思ってないのだろうか。もっとも30超えてフリーターのような生活をしている俺がどうこう言えたことではないのだ。

込山ちゃんはガチめのジャニヲタ&K-popヲタだった。
俺もその方面には明るいため会話は終始盛り上がった。
しかし詳しく話を聞いていると込山は親からもらったお金でヲタ活動をしており、移動にグリーン車を使ったり、遠征先でいいホテルに泊まっているようだった。
こういう女性と一緒になると悲惨だなと思った。
仕事も社会経験の一貫的な感覚なのだろう。
まあお金ある人ならいいのだろうが。
恋愛経験は乏しく嘘か本当か彼氏はこれまで出来たことがないと言っていた。
ガチのジャニヲタだったからそれもあり得るかなと思った。

1軒目を出ると2軒目は彼女お勧めのカフェに。
ここでのトークはだいぶ単調なものになった。
これではこの後どうかなと思ったけど、お店を出たところで

「終電まで帰れば大丈夫だよね?」
「はい」
「じゃあ池袋でもう一軒行こうよ」
「いいですよ」

ここでさくっとタクシーを止め乗車。
以前は根が乞食体質にできているため電車で移動していたが1,600円程で行けることを知ってからはなるべくタクシーで行くことにしている。
ただ、タクシーでの移動の空間が俺は苦手で、運転手に聞かれてると思うと差し障りのない会話に終始してしまい相手の気持ちが冷めるんじゃないかと焦ってしまう。
恋愛工学のブロガーとかみると大胆にキスとかしている人も多いみたいだが…。

 

コンビニ前で下車すると
「家にお酒あるからコンビニでアイスでも買っていこ」と自宅連れ出し。
自宅インはほぼノーグダだった。

ここからはいつものようにソファに座らせて、本棚の本を見てああだこうだ…。
「隣に座っていい?」
「手握られると緊張する?」
肩に手を回し…

ノーグダでゴール。


込山ちゃんの推定Eカップは今まで触れた胸のなかでも最高に柔らかくて感動した。
しかしこれも結局は一瞬なのだ。
射精してしまえばそれまで。
ピロートークでのアイドルトークもそれなりに楽しかったが、この関係が早晩途切れることが明白な以上、有頂天には程遠かった。

その後お互いに連絡することなくホワイトデーにお返しすることもなかった。

今年に入って3アポ2ゴール。
これからも立食パーティーに行ってアポを重ねれば、それなりのゴール数は稼げるだろう。
しかし、ゴールした一時は自尊心が満たされても相変わらず虚しさが残るだけ。
一体に俺は何をしたいのか…。

26歳SPEED今井絵理子似看護師とのアポ

1月下旬。
2018年最初の新規アポ。

去年は30人の女性とアポったが
今年もこの繰り返しが待っているかと思うと
楽しみでもあるが実にうんざりする。

うすうす気付いていたが立食パーティーレベルで出会う
女性のなかには俺が求める運命の女性は現れないだろう。

 

俺が求めてる女性とは…、容姿はそこそこでも
1人で稼ぐ力があって文学や時事にも関心をもっているような…。
要は知的にハイスペックな女性を求めているのだ。

 

いま立食パーティーでやっていることといえば釣り堀にいって
たくさんいる魚のなかで自分のルアーにかかってくれた子を釣っているだけ。
ただマッチングしているだけだ。

強いていうならただのマッチングではなく
その精度を少しでも上げることで、
100%コミットしたいと思える女性と出会ったときに
しっかりゲットできるようにしたいということだ。

 

 

もっとも、ゲットできたところでいまの俺にはその先がない。 
一言でいえばお金がないのである。
フリーランスと言えば響きは良いが
実際半分フリーターのような生活を依然として続けているのだ。

 

正月に田舎に帰省し旧友たちと久しぶりに再会した。

子育てだのマイホームだのと着実に人生のステップを登っている彼らに対し、
俺はいま住民税や国保の支払いにも四苦八苦している。

 

彼らにbukuroも早く結婚しろよと言われた際には
「いやいやまだ遊びたいから」と適当に濁したが
実際には結婚しようにもお金がないから結婚できないのである。

それをいま不特定多数と遊ぶことで誤魔化している。


物事の優先順位を考えろ、と思われるかもしれないが、
完璧なる人生のレールに乗っている彼らに対し、
俺はこうして若い子と遊べているんだと思うことで
(実際はたいしてゲットできてないが…)
溜飲が下がる思いをしているのである。

 

こうして書いているが、もはや虚しさか残らない…。

 

新大久保で待ち合わせた26歳看護師はSPEEDの今井絵理子に似ていた(B⁺)。

出会いはいつものハッピースマイルパーティー
ここの立食パーティーに行くのはもはや趣味のようなものだが
年齢上限が32歳であるため参加できるのも今年までだ。
つまり会場では最年長となり20代の子たちと
同じ土俵で戦わなければいけないのだ。
まあ会場では年齢はいつもサバを読んでいるが。

 

お店に着いてコートを脱ぐと今井ちゃん地味な服装をしていた。
やはりBレベルなのである。俺がいける女性というのは。

顔は整っていたが非モテの雰囲気が漂っていた…。
恋愛経験もそれはど豊富ではなく、
嘘か本当か知らないが3年も彼氏がいないと言っていた。

 

一軒目を出て、甘いものとお酒どっちがいいかと聞くと
甘いものが好きというのでカフェに入る。

カフェでは俺が腹痛によりトイレに駆け込むという
ハプニングもあったがそれを笑いに変えられて幸いした。

お互いの携帯写真を見せ合ったりといい雰囲気のところで2軒目もチェック。

 

「明日休みだから終電まで帰れば大丈夫だよね、
〇袋ほとんど行ったことないならちょっと行ってみようよ」

「いいよ」

 

ノーグダで応じてくれたから
急いでタクシーを止め池〇に移動。

 

どこに行くとは伝えてなかったが家の近くにタクシーを止め
俺も地元の日本酒あるから家で軽く飲もうよと誘うと、

「えっ、いきなり家に行ってもいいの…」

と自分に言い聞かせるような形でほぼノーグダで自宅イン。

 

 

部屋に入るとキスには多少のグダがあったが
すんなりゴールすることができた。

 

終電までには帰ってほしかったが結局泊っていった。

 

実はこの日の今井ちゃんは池〇マルイ1Fの
サマンサタバサ プチチョイスの店員が身に着けているような
携帯とリップくらいしか入らないような小さなバッグで来ていた。

セオリー通りにいけばこれは
「今日は絶対に終電までには帰りますよ」の合図であり、
実際に彼女もそのつもりだっただろう。

そこを俺の口説きで崩すことができたのだ。
これは多いに自信となった。

 

しかし、どうだろう、新規ゴールも有頂天には程遠いものだった。

それは彼女とも早晩疎遠になることが分かりきっているからだろうか。
ここで一時的に浮かれたところで、
うだつが上がらない生活に変わりはないからだろうか。

 

やはり虚しさしか残らなかった…。

2017年まとめ

2017年の恋愛活動が終わった。

この一年で実に30人の女性とご飯を食べに行った。
(実際はネットワークビジネス系の女性も含めるとあと2人増えるが笑)

出会いの供給源はほぼ全て立食パーティーである。
ペアーズなどは一切利用していない。
立食パーティーで実際に会話してそのうえでご飯に来てくれた女性が30人もいるのだ。
これはなかなかの数字ではないだろうか。
20代の貴重な週末を俺のために割いてくれたのだ。
電車で1時間以上かかる神奈川や千葉の遠方から来てくれた女性もたくさんいた。

そして、30人のうち17人を自宅に連れ出した。
(うちのマンションの1階には共用施設としてプロジェクターがあるシアタールームがあり、そこへの連れ出しも含めると20人である)

連れ出した17人のうちDキスまでが15人
うち最終ゴールが9人、口で抜いてもらったのが2人となった。

率にすると約3割、3人とアポると1回は大方ゴールできた。

もっとも年間12ゴールの目標には届かなかったという点では
口惜しさが残る結果となった。
自宅連れ出し率の高さに比べゴールの少なさは当然課題であるし、
もう少し上手くやれば自宅連れ出しもあと3.4件できそうだった。

一点、俺は下戸中の下戸なので全てのアポでお酒を一滴も飲んでいない。
それでもこれだけ連れ出したりできるのは特筆できる点ではないだろうか。
下戸の人にもトーク力を磨けばお酒は関係ないと伝えたい。

 

現状キープと呼べるのは、
23歳NMB48渋谷凪咲似保育士22歳地味系公務員の2人。
彼女たちは22日と23日の夜を一緒に過ごした。

2人とも性格が良くて、一緒にスポーツ観戦に行ったときには
お弁当を作ってきてくれた。
これにはえらく感動し、この1年間の恋愛活動が報われた気がした。

ただし彼女たちが正直それほど可愛くはないことは認めざるを得ない。
クリスマスに街行く恋人たちを眺めては、
それほどオス度が高いとは思えない男が、
キープ子よりも可愛い彼女を連れていることに
内心忸怩たる思いをすることが多々あった。

その度に来年は数よりも質だと誓うのであった…。

 

この1年それほど誇れるだけの結果は残せなかったが、
当然に女性に対する経験値は大幅に向上した。
立食パーティーでの立ち振る舞い、
ラインゲットからのアポ、
アポでの会話から自宅連れ出し…
いまでは大体のことはルーティンとなっている。

この30人以外にも多くの女性と立食パーティーで出会って
ライン交換して、ブロックされて、
アポドタキャンされて落ち込むことも多かった。
もっともこれに関してはこんなものだと後半からは何とも思わなくなった。

ご飯に行った30人のなかでも、
付き合ってほしいと言われて承諾するもあっさり振られたり、
ギラついてもないのにブロックされたりと落ち込むことがあったが、
これも結局そういうものだと次第に切り替えられるようになった。
俺の魅力が不足していただけだし、
諸行無常、人の気持ちを縄で括ることなどできなのだ。
言ってみればそこまでコミットしたいと思える女性にも出会えなかった。
数を求める恋愛活動は常に虚しさと一体だった。
立食パーティーでBクラスの女性とこれ以上アポったところで俺の成長もないだろう。

新宿ナンパ大戦争ではないが、来年は少しでもハイレベルな女性のゲット、
何よりも心からコミットしたいと思える女性に出会いたい。
そのためには俺自身のバリューを向上させなければ…。
この1年を振り返ると適度な充実感を得つつも、
今後のことを考えると悲壮感漂うものになってしまうのであった…。