今夜だけでも有頂天に

ハイスペ女子と恋愛したいアラサー零細自営業者の活動記録です。

君たちは一回りも下の20歳の処女とやったことはあるか

11月のとある平日、20歳のフリーターの子との新規アポ。
俺は若干緊張していた。
なにしろ年齢が一回りも違うのだ。
これまで一番若かったのは21歳の子だった。
それがついに20歳の子である。
本ブログの読者のなかに一回り下の子と
アポれる男がどれだけいるだろうか。

 


待ち合わせ場所。
改札のそばに立っているその20歳のフリーターは太っていた。
水卜アナ的なぽっちゃりではない。
全盛期の柳原可奈子的な太り方だ。
身長も155センチくらいでコロッとしていた。

そうなのである、
いくら20歳の子とアポれたといっても所詮はこのレベルなのだ。
しかしである、顔はなかなかに可愛く、
それも含めてまさに柳原可奈子と瓜二つといった感じだった。

柳原ちゃんは俺に気づかずに携帯をいじっていた。
その姿をみて、こりゃぽっちゃりというより完全にデブだな、と
心のなかで毒づきつつも満面の笑みで彼女に声をかけた。

予約してあるお店まで歩いて移動しているとき、
これまでの俺であればアポ相手のレベルの低さに
自嘲的な笑みを浮かべているところだが、
やはりこの日は違った。
なんといっても相手は20歳なのだ。
死ぬほど憧れている女子大生ではないことは残念だが
それでも華の20歳なのである。
もう一度言うが、自分と同い年のサラリーマンで
20歳の子とご飯に行ける男がどれだけいるだろうか。
俺はなんとも誇らしい気持ちだった。
たとえそれが柳原可奈子であってもだ。

 
いつものお店に入る。ビールとコーラで乾杯。

柳原ちゃんは地元の千葉で雑貨屋の店員をしていた。
まずは千葉から1時間かけて来てくれたことが嬉しかった。
立食パーティーではほとんど連絡先も交換してないし、
誰ともご飯に行っていないという。
それはそうだろう。
俺も立食パーティー常連の顔見知りに、
よくあんな子いきますね、と言われたくらいだ。
しかし、俺は普通にかわいいと思ったし、
そんなことはどうでもよかった。

話していて思うのは、やはり、20歳という年齢である。
どうしても自分の20歳の頃に重ねてしまうし、
否が応でも当時の記憶が蘇ってくる。
柳原ちゃんはどんな思いでいま俺と飯を食っているのか。
自分が20歳の頃は一回りも上の異性と
サシで飯を食う機会など当然なかった。
それよりも周りが大学とかに通っているなかで
彼女はこのままフリーターを続けていいのか。
俺も20歳の頃は大学を中退しフリーター生活をしていた。
当然成人式など行ってない。
この頃の楽しい思い出などまるでない。
当時は最善の選択をしたつもりだったが、
今となって振り返ると明らかな間違いだった。
失ったものの大きさを知るのは時間がかかった。
それを知った俺はいまひどく後悔している。
何が言いたいかというと、結局は、
それだけ若さというものは尊いもので、
それは絶対に取り戻すことのできない時間だということだ。
俺は目の前の柳原ちゃんが羨ましくて仕方がなかった。

柳原ちゃんは今まで彼氏ができたことはないという。
これは処女かなと思った。
処女であってほしかった。
気持ちが昂ぶったがここでは深く突っ込まず、
「けっこう理想高いタイプでしょー」と軽く流した。


1軒目を出て2軒目はカフェへ。
この日のために20歳の子とどんなトークをしようかと
頭のなかでシュミレーションしていた。
若者に絶大な人気がある「あいみょん」の話題を仕込んでいた。
そのために、あいみょんを聞きこんだ。
結果、あいみょんの話題を振ると彼女も知っており、
PVの話などで盛り上がることができた。
その盛り上がりに乗じて、
じゃあ今度はどこそこにデートに行こう、だとか、
何を食べよう、という未来志向のトークで場を和ませた。

次回のデートの誘いにも即答で「いいですよ」と答えてくれた。
ある程度の食いつきがあるのは分かった。
このまま解散しても次回のデートもあるだろう。
ただ、今日のうちにゴールできるかどうかは分からない。
どうしても二十歳との子とエッチしたかった。
それも処女かもしれないのだ。
こんなチャンスはなかなかない。
20歳のバージンを奪える可能性があるのだ。
何としても手に入れたかった。
20歳の子が処女を捧げるくらいの価値のある男になりたかった。

自宅に誘って来てくれる確率は五分五分かなと思った。
明日は早番だと話していたからだ。
それは、このあと勇気を出して自宅に誘うことで判明する。

「まだ時間あるから〇袋にいこうよ」

「あっ、はい、いいですよ」

「22時半頃まで帰れば大丈夫だよね?」

「そうですね、終電までに帰れば大丈夫です」

柳原ちゃんの方から終電まで大丈夫と言ってくれた。
予想以上の食いつきがあったようだ。
この2年間で何十人も自宅に誘い入れ口説いてきたのだ。
自宅に連れ出しさえできれば、
20歳のフリーターくらいなんとかなるだろう、と思った。

タクシーの車内、俺はテンションが上がり、
あいみょんの「マリーゴールド」を歌った。

コンビニでアイスを買って自宅に入る。
自宅グダは一切なかった。

部屋に入りソファに座った柳原ちゃんは若干緊張していた。
男の部屋に入るのは初めてだという。

アイスを食べ終えると俺もソファの横に座る。
そしていつものように手を貸してといって手を握る。

「こう握られると緊張する?」

「…そうですね」

「俺が柳原ちゃんのこといいなと思ってたの知ってる?」

「……」

キス

ノーグダ

「チューするのはじめて?」

「……(コクッ)」

キス

キス

 

「やっぱりダメですよ…まだ何も知らないし…」

柳原ちゃんはうつむいて首を左右に振る。

俺は丁寧に自分の思いを伝える。
最初に会った時からいいなと思ったこと。
今日会ってみて本当に楽しかったこと。
柳原ちゃんのことをもっと知りたいと思ったこと。

「本当にいいなと思ったから気持ちが先走ってキスしちゃった。
でも柳原ちゃんが嫌ならもうしない」

「俺のことを信じてほしい」

 

キス。

キス。

 

胸に手を伸ばすもノーガード。

「シャワー浴びる?」

「……(コクっ)」

 

勝負が決まった瞬間だった。


俺はオリーブ色のスキニーパンツを穿いていたが、
我慢汁でズボンにも染みができていた。

  

バスタオルを巻いて風呂場から出てきた柳原ちゃんは、
照れたような表情をしていて可愛かった。

緊張する、そして少し怖い、という彼女に
優しく声を掛けながら最後まですることができた。

行為の後もベットに横になりながら何度もキスした。


俺は満ち足りていた。

俺は選ばれたのだ。

バージンを捧げる相手として俺が選ばれたのだ。

30歳を過ぎて2年連続でバージンを奪ったのだ。

これを見てる人は思うだろう。
どうせレベルの低い子なのだから、
誰もこれまでアプローチしていなかっただけだろう、と。
それは実際そうなのだろう。
去年の萌乃ちゃんはさておいても、
柳原ちゃんに限ってはそうなのだろう。

しかし、それでもである、
世の中のアラサーリーマンのなかで
2年続けて処女とできる男がどれだけいるものか。
そもそも普通に飯を食ったあとに、
堂々と自宅に誘って、
口説き文句を言える男のほうが少数なのだ。

いつもの俺であれば彼女を見送った帰り道で、
先ほどまでの誇り高き気持ちとは裏腹に、
現状自分が社会のなかで置かれている立場を考えて
救い難い寒々しい心地になっているところだろう。

しかし、この日はやはり誇り高い気持ちだった。
俺は選ばれたのだ、と……。

 

 

 

※先日ラインのデータがすべて消えてしまいました。
当ブログ経由でこれまでお会いした方のなかで、
またお会いしてくださる方がおりましたら、
お手数ですがもう一度gmail宛に連絡ください。

25歳AKB48福岡聖菜似ホテリエとのアポ

 

9月下旬

金曜日の夜、新規アポ。
相手はAKB48福岡聖菜似で外資系ホテル勤務。(たしか)25歳。
二週間前のハピスマで出会った。
互いに好きなアイドルの話題で盛り上がり、帰宅後すぐにアポ組みした。

 

待ち合わせ場所に現れた福岡ちゃんは芋っぽくダサかった。
茶色のロングスカートに茶色のニット。
全身暖色のコーディネート。
しかし、笑った時に両頬にできるえくぼがなんともチャーミングであり、
それは服装のダサさを補って余りあるだった。

歩いて数分でいつものお店に到着。今年もう何回来ているんだか。
ドリンクと料理を注文し一段落ついたところで福岡ちゃんが
「男の人とこうしてご飯来るの久しぶりだから緊張しちゃいます」
非モテな雰囲気が漂う福岡ちゃんならさもありなんと思った。
一方で、この明確な脈あり発言を聞いた俺は、
今日は絶対に逃せないとの思いを新たにし、
冒頭から一人緊張感を増幅させていた。

お店にいたのは2時間ほどだろうか。
仕事の話、恋愛の話、アイドルの話…。
福岡ちゃんはやはり恋愛経験が少なく、
大学生の時に付き合ったのが最後で、
社会人になってからは全くご無沙汰だと言っていた。
しかし、それより気になったのは彼女の出身大学だ。
彼女は日東駒専の出身であったが、
俺がアポる相手はとにかく日東駒専出身の子が多い。
ざっと数えてみても去年からだと12人ほどだ。
もちろん首都圏にあり、学生数が多い大学ではあるから
一定の確率で遭遇しても不思議ではない。
しかし、明治や早稲田出身の子にはなかなか遭遇しないのだ。
やはり彼女たちはそれなりの企業に就職し、
恋愛は身内のコミュニティで済ましているためか
出会いの場には現れないのだろう。
立食パーティーで出会える女性には上限がある。
ハイスペ女性と近づきたいと思ったら
自分がそのステージに昇るしかない。
それを思うと惨憺たる思いになった。


一軒目を出たところですでに時刻が21時を廻っていた。
もう一軒挟むか、すぐに自宅に誘うか。
それほど二人の関係は温まっているとは見えなかったが、
時間的にもう一軒挟むと終電グダにつながると思い
「まだ21時だから池袋で飲みなおそうよ」と誘う。
いいですよ、とノーグダだった。
すぐにタクシーに乗り、家近くのコンビニで降りる。
「コンビニでアイス買っていこう」
「あっ、はい」
どこで食べるのかと聞いてくることはなかった。
自宅に入る。驚くほどスムースに事が運ぶ。
ここまで手つなぎや具体的なギラつきは一切ない。
一体に家に来る子とそうでない子との差とは…。
会話が盛り上がり手繋ぎまでしてたのに家の前でグダる子もいるし、
そうではなく今回みたいにスッと来てくれる子もいる。
判定法も何もあったものではない。
もはや本人の価値観の問題か…。

 

部屋に入ると本棚を見てああだこうだと話す。
時機をみて、
「そっち行っていい?」
ソファの横に座る。
「手貸して」
手を握る。
福岡ちゃんの顔が緊張で赤くなっていた。
ただでさえ濃いめのチークがその赤さを引き立たせていた。
福岡ちゃんは非モテ女性らしく化粧が苦手なようだ。


ノーグダでゴール。
これで、ようやく今年5ゴール目。
経験不足のためかキスもフェラも下手くそだった。
しかし、それでも一生懸命してくれるのが分かり、
その愛おしさには、胸にこみ上げてくるものがあった。
今度こそ、彼女とは、長期的な関係を築きたいと思った。

 

そして、ゴールから5日後のことである。
訳があってラインのデータがすべて消えてしまった。
過去6.7年のデータがすべて消えたしまった。
当然、先日ゴールしたばかりの福岡ちゃんのも。

新規登録するしかなくなった。
ゴールの翌日以降は福岡ちゃんから連絡は来てなかったが、
仮にその後彼女が連絡をくれたとしても"未読"のままになる。
なんとも悪いことをしてしまった。
もっとも、これまでゴールした子のうちで、
解散した直後以外で向こうから会いたいと連絡をくれた子は
ごくごく少数しかいないのだ。
それでも期待してしまう。
彼女は俺に食いつきがあったに違いないと……。

 

 

 

 


というわけで、当ブログ経由でこれまでお会いした方で
またお会いしてくださる方がおりましたら
お手数ですがもう一度gmail宛に連絡ください。

今年35歳になる山本未来似看護師とのアポ

7月某日。

34歳看護師との新規アポ。

この日は台風が首都圏を直撃しており、
隅田川の花火大会も翌日に順延となっていた。

俺は、無理しなくていいですよ、リスケしましょうか、と言ったが、
先延ばしするといつになるか分からないので私は大丈夫ですよ、
と女の方がやけに乗り気だったから、結局会うことになった。

19時半。待ち合わせ場所。雨はもうあがっていた。

改札を出たところで彼女を見つける。その姿に唖然とした。
ボーダーのピタッとしたTシャツにショートパンツ、
そして大雨に備えてか長靴を履いていたのだが、
それが黒のロングブーツのように見えて、
まるで一昔前のアムラーそのものだったのだ。

俺はやれやれと頭を抱えた。
今宵も俺がアポれるレベルとはこのレベルの女なのだ。
唯一の救いはピタッとしたTシャツ(昔はよくピタTといった)に、
お椀型の推定Dカップの胸がくっきりと浮かびあがっていたことだ。

山本との出会いはいつものハピスマ。
通常のハピスマは参加条件が女性20歳~29歳であるが、
この回は女性25歳~34歳と年齢層が高めだった。
俺はアラサー相手の方が与しやすいのか
彼女を入れて3人の女性とアポ組みできた。 

行きつけのお店に入る。台風の影響か店内はガラガラ。
彼女はビール、俺はソフトドリンクで乾杯。

立食パーティーの感想、仕事のこと、過去の恋愛の話。
いつものような典型トークで時間は過ぎていく。
しかし年齢がそうさせるのか全体的に哀愁漂うものなった。
もっとも、山本は30歳になったときに思うところがあり、
仕事を辞め1年間海外にワーホリに行ったのだという。
これには、いい歳こいて生き方を模索している感じが
自分と通じるところがあり、なんとも共感できた。

彼女は今年35歳。
なんだか35歳の人とこうして飯を食っているのが不思議な感じがした。
まるで兄嫁とデートしているようなものじゃないか。
しかし、思えば俺も32歳なんだった。
4月まで23歳の子と付き合っていたから自分は若いつもりでいた。
しかし、どう足掻いたところで若い子との恋愛に現を抜かすには、
あまりにみっともない年齢に差し掛かっているのである。

お互いの休日の過ごし方の話になった。
山本は登山にマラソン、ダンス、それに舞台鑑賞と
独身女性の生活を謳歌していた。
特に羨ましいとは思わなかった。

ダンスを始めたのは子どものころにSPEEDに憧れたからだという。
彼女は今井絵理子と同い年であった。
俺はハロプロにハマる前はSPEEDに夢中になっていた。
小6で初めて行ったライブはSPEEDだった。
そして今井絵理子が好きだった。
当時は2つ3つ上の女性はずいぶんと大人な女性だと思っていたが、
いまはこうして普通にご飯を食べたりしているのだ。
そう思うと35歳の女性とのご飯も悪くないと思えた。
俺は頭のなかで「今井絵理子とご飯、今井絵理子と…」と繰り返していた。

 

1軒目を出る。
〇袋で飲みなおそう、といって電車で移動。
最近は自宅搬送までもう1軒挟むようにしているが
この日はそれをしなかった。
特に判定法があるわけではないが、
雨上がりでムシムシしていたから早く事を進めたかった。

池〇に着く。
「コンビニでお酒買っていこう」
「えっ、どこかお店に入るんじゃないの?
「家には行かないよ」
35歳にもなってまどろっこい女である。
「別に警戒とかしてるのならいいよ」強気に出ると
「別にそういう訳じゃないけど…」

コンビニで買い物を済ませマンションに入る。
女は若干緊張した面持ちだった。
ソファに座らせて、彼女はお酒を、俺はアイスを食べる。
本棚をながめ、ああだこうだと話す。

この時間のピリッとした空気が俺は好きだ。
そして、頃合いを見てソファに移動し横に座る。

「この距離感だと緊張する?」

「やっぱりしますよー」

腕を肩に回す。

「えっ、早くない?」
「まだ付き合ってないんだよ」

 

しかし形式的なグダだった。
舌を絡めたキスをすると、
一転して山本のほうが積極的になった。

ひと月半振りの今年4ゴール目。

やはり綺麗な胸をしていた。
趣味でマラソンとダンスをやっているだけあって、
体も引き締まっていた。

ク〇ニリングスをしているとき、
今井絵理子のま〇こ、今井絵理子のまん…」
俺は頭のなかでつぶやいていた。


いつもの虚しさがこの日はなかった。
ようやくの今年4ゴール目に安堵が大きかった。
山本と出会ったハピスマで3人とアポったと書いたが、
実はあとの2人とはアポ負けしていたのだ。
今年、いまのところ11人とアポって4ゴール。
3人とアポれば1人とはゴールできる。
そう思うと少しは気が楽になる。

まちぱ.comについて、そして24歳NGT48荻野由佳似ちょいぽちゃ銀行員、とのアポ

先日の新規アポ。

出会いは、まちぱ.comという街コン会社の立食パーティー。
ここもハピスマ同様に完全フリーの立食形式なのだが、
特徴としては、あまり大きな声では言いたくないが、
(もっとも、1日の訪問者数もせいぜい100~150という
当ブログには影響力はまったくないはずだ)
女の子にはタダ券がばら撒かれている、という点にあるだろう。

一度来ると、友達4人まで同伴できるタダ券がもらえて、
それも半永久的に使えるようだ。
そのため、女の子の集客は悪くないが、
質の面でいうと、かなりお粗末なものだ。
つまり、ネットワークビジネスをはじめとする
何らかの勧誘勢が他よりも明らかに多かったり、
レベルの低い子が上から目線で男を見定めに
冷やかし感覚で来ている場合が多い。

だから、正直なところ、まちぱから新規アポにつなげることは
ハピスマに比べると難易度が若干上がるかもしれない。
俺もその場で盛り上がったなと思っても、
家に帰ってラインやり取りしていると、
勧誘案件だと気づいてガックリすることがけっこうある。
もちろん勧誘案件か否かは、今ではほぼ見抜くことができるため
ノコノコとアポに出向くことはないが…。

プラスの面を挙げるのならば、料理だろうか。
乞食飯が定番の立食パーティーのなかにあって
まちぱでは「銀のさら」から宅配寿司を出前しており
これは幾分良心的かと思う次第である。
本当に他のところはひどいのだ。
それと、ドリンクの種類が多く、
その都度バーテンもどきのスタッフが
カクテル等を作ってくれるので、
これもなかなか悪くはないと思う。

では、散々言っておきながら、
なぜまちぱに行っているのかというと、
原宿の会場へのアクセスが良いから、それだけである(笑)。

そして、今回のアポ。
24歳、NGT48荻野由佳似C⁺の銀行員。
身長は170センチ近くあり、加えてちょいぽちゃという
なかなかに迫力のある体型だったが、
それに見合う豊満な胸も持っていた。
当日は15分ほどしか話していないが
お互いの趣味に共通するものがあり、
その場でアポ場所を決めて、
(俺は女の子を誘いやすい自分の領域というか
勝負しやすいアポ場所をもっているのだ。
単に今度ご飯行きましょう、だけではアポ組みは難しい)
あとは後日、日程調整しましょうということになった。


アポ当日。
待ち合わせ場所に時間通りに現れた荻野ちゃんは、
なんというかあまり可愛くなかった(笑)。
これは立食形式の街コンではあるあるなのだが、
若干照明を落としている会場で見る顔と
明るいところで見る顔は違うのだ。
まあクラブと同じである。

荻野ちゃんはNGT48の荻野由佳を少し不細工にした感じだ。
想像してほしい。おぎゆかを少し不細工にした感じを。
おまえそれただのブスじゃねえかという話だ。
俺の大甘な基準でもせいぜいC⁺といったところだろう。
自分がアポれるレベルは相も変わらずこの程度かと
薄汚く沈鬱として気持ちになったことはいうまでもない…。


気持ちを立て直して、予約しているお店にインする。
今年3アポ3ゴール決めている非常に相性の良いお店だ。
萩野ちゃんは生ビール、俺は粒入りブドウジュースを注文し乾杯。

いつものように、この間の街コンの感想から始まり、
穏やかなトークを展開していくところだが、
彼女はなんとも大人しい子だった。
ニコニコして俺の話に相づちをうって、時に笑ってくれて、
俺が質問するとそれにはちゃんと答えるが、
自分からは話を振ることは特にない。
自然と沈黙の時間も多かった。

しかし、それは退屈さがそうさせているのではなく、
また俺に興味がないわけでもないのだ。
単に、おしゃべりな子がいれば大人しい子もいる、それだけのこと。
いわば性格の一種。
大人しいからといって決して自己主張しないとか、
押しに弱いとかそういうわけではないし、
それによってこれまで損するということもなかったはずだ。
むしろ、女子グループのなかでは、
緩衝材的な役割を引き受けてくれるから、
多くは重宝されてきたのだろう。

すぐに自己主張し、他人の意見を受け入れず、
周りから煙たがられてきた俺とは180度違うのだ。


荻野ちゃんの過去の恋愛遍歴を聞くと
これまで彼氏とちゃんと呼べるようない人は
いなかったとのことだった。
随分と正直に言うものだなと思った。
それが恥ずかしい、といった感覚はないようだ。

もしかしたら荻野ちゃんは処女なのかも。
たしかに彼女はそれほど可愛くないが、
処女となれば話が違ってくる。

俺は処女性といったものに別段拘っているわけではない。
ただ、最初の男になることで、なんというか、
その子にとって、俺という存在を、
記憶の片隅にいつまでも留めてやりたいのだ。
誰かの記憶のなかに印しを残すことで、
孤独でまるで空虚だったこれまでの人生にも、
価値の灯をともすことになるのだ。
過去への復讐的作業。

しかし、処女の子などこの歳になるとそうそう巡り合えない。
その代わりに俺は、アナルを集中的に舐めることを代替作業としている。
女の子に聞いても、また周りの男に聞いても、
アナルまでしっかり舐めることはほとんどないようだ。
だから、これまで誰からも汚されていないアナルを俺は汚してやる。

「お尻の穴なんて舐められたことないから、まだ違和感残ってるよ」、
などといわれると、これで彼女の記憶には、
あの時、俺という人間にアナルをぺろぺろ舐められた、という
捉え所の無い感情が記憶されたのだと、俺は満足感を覚えるのだ。
もちろんほとんどは忌まわしい記憶となるのだろうが、
この際それは関係ない。
完全に無として忘れ去られるほうが悲しいのだ。

……。

アナルを舐めることで、その子の記憶の中に生き続ける…?


頭がクラクラしてきた。
実際上の俺はここまで危険ではないので安心してほしい。


話を荻野ちゃんとのアポイントに戻す。
トークは相も変わらず8:2くらいで俺がリードし、
彼女がそれにニコニコしながら相づちを打ってくれていた。
場の雰囲気は悪くなかった。
1軒目の支払いを済ませ、2軒目はカフェへ。
ここでも同様の展開だった。
2軒目を出てもまだ20時半。

「今日は23時頃に帰れればいいよね?」

「そうですね」

「池〇あまり行ったことないんだよね。
まだ時間あるしちょっと行ってみて、ゆっくり話そうよ」


「あっ、いいですよ…」

すぐにタクシーを止め、1700円かけ池〇へ。
自宅近くのコンビニ前で降りる。
「アイスとかお酒買っていこう」というと、

「えっ、でもこれどこで食べるんですか?」

「家だよ、すぐそばだから」

荻野ちゃんの目が点になっていた…笑。
しかし、お互いにこれ以上何も言わずに
アイスとお酒を買い、歩いて自宅に入る。
この時点ではノーグダだった。

部屋に入ると、
荻野ちゃんはまるで見知らぬ場所に突然放り出されたように、
いかにも居心地が悪そうに、部屋の中心に突っ立ち、
怯えたような目でキョロキョロと室内を物色していた。

俺は一呼吸置くために、
「ごみ捨てに行ってくるね、
(ソファを指差し)その辺に適当に腰かけてて」といって
ごみ集積所までごみを捨てに行ってくる。
そして、部屋に戻ってくると、彼女はまだ部屋の中央で、
手を体の前にカバンを持ったままで突っ立っていた。

荻野ちゃんは明らかにいまの状況に戸惑っており、怯えていた。
まずはリラックスさせなければ。
ひとまずソファに座らせ、俺はアイスを食べ彼女はビールを飲む。
本棚を見て彼女が気になる本を手に取ると、
その内容のあらましを俺が説明する。
そんなことをして30分が過ぎていた。

俺はいよいよ機が熟したかなと思い、
ソファにいき彼女の横に座る。
そして「手貸して」といって手を握る。

「こうされるとドキドキする?」


「そりゃもちろんしますよ」

荻野ちゃんは男の家に来るのも、
そして異性とこうして密着するのも初めてだという。

彼女の体は緊張で若干で強張っている様子だったが、
明らかな拒絶はない。
約1年ぶりとなる処女とのゴールが目前に迫り、
俺は完全に勃起状態だった。

繋いでいた手をほどき、肩に手を回す。

ここでグダ。

ちゃんと順番を踏みたい。
bukuroさんのことはいいなと思うし、
だから家にも来たけど、
やっぱり正式に付き合うことになってからしたい。

ここまでは想定内。

俺は、どこかからか拝借したグダ崩しフレーズを並べる。
エッチすることはゴールではない、
それと同時に、いまエッチするかどうかは重要ではない。
ただ、これまで長く付き合った女性とは
最初のデートで男女の関係になった。
それは結局お互いに惹かれあっていたから。
これは2.3回デートしたからといって変わるものではない。
そして俺はいま荻野ちゃんに惹かれているけど、
荻野ちゃんがそう思ってくれていないのは悲しい。

付き合ってからグダに対しては、
付き合う付き合わないの形式はそこまで拘っていない。
ただ、その相手にお互いが会いたいと思って、
来週も、またその次の週も会うってことが
付き合うことになるんだと思う。
現に荻野ちゃんのことをもっと知りたいから
来週もその次も会いたいと思ってる。
そして、長く付き合いたと思ったら自分からちゃんと告白する。

こうした内容のことを手を替え品を替え彼女に伝える。

 

そして、ようやくハグからDキス。
ここまで1時間を費やした。

ようやく彼女の心の扉を開いたと思い、
キスをしながら胸に手をのばすと、
ここでまたブロックされてしまう。


結局、付き合ってからグダは崩せなかった。


それでも、彼女の方から、
「今度は日中にデートっぽいデートしましょう」、
「来週のこの日は空いてますか?」と引きはまだ残っていた。

駅まで送っていくと、
改札で「また会うの約束ですよ」と指切りされた。

しかし、どうだろう、付き合ってからグダを提示され、
その日のうちに崩せなかった場合は、
結局付き合うしかないのだ。
次回なし崩し的にというのは難しい。これまでの経験上は。

彼女が求めているのは、日中にデートらしいデートをすること。
水族館にでも行くというのか…?
そして、2回くらいデートしてそこで告白でもするのか?

こういう時に既存女性がいると気楽に進められるのだが、
あいにくいまは不在だ。

それでもだ、絶対に処女とエッチしたい。
彼女のなかで俺が最初の男になりたい。
バージンを捧げるほどの価値のあった男としての印しを残したい。
たとえ時間が過ぎて、過去を振り返った時に、
その行為には全く価値がなかったとしても…。

これは俺の復讐的作業であると同時に
過去を取り戻す修復的作業でもあるのだ…。

29歳ちょいぽちゃ辻希美似Fカップ保育士、とのアポ

街コン合流から2週間後。
その時出会った子との新規アポ。

相手は29歳の保育士。
ちょいぽちゃ、辻希美似B⁺。
肉感的で俺が好きなタイプだった。

アポ場所はいつものエスニック料理店。
久しぶりに会った辻ちゃんは、
生地薄めの七分袖ニットに、
大ぶりな胸がくっきりと浮かび上がっており、
それを見ると、今宵は絶対にゴールしたいと決意を堅くした。
思えば新規ゴールはバレンタインデー以降遠ざかっており、
また、NMB渋谷凪咲ちゃん似の子から4月に振られてからは
セックス自体がご無沙汰だった。

さて、お店に入って、この間の街コンを振り返っていたが、
彼女は主催者の紹介でサクラとして参加していたとのことだった。
まあそれ自体にはそれほど驚かなかった。
街コンには、こうしたサクラが多いところ、
タダ券がばらまかれているところ、
ネットワークビジネスの巣窟となっているところなどが結構ある。
ただ、俺はやる気ゼロで来たはずのサクラの子を
トークによってアポイントの場まで引っ張り出してきたのだ。

1軒目では、様々なブログやメルマガから拝借した
トークスクリプトを要所要所に織り交ぜながら
場を穏やかに、暖かく進行していく。
街コンからのアポで使えるのは、
例えば、他の子と会ったりした?と聞かれたときには、
「誘われたから行ったけど、話してみて合わないと思ったから1軒目で解散した。
俺はいいなと思ったら2軒目も自分から誘うし…」
ということを伝えると、女の子も私は誘われるのかしら、
変なこと言って引かれたらどうしよう、と気にするため
その場の主導権をこちらが握ることができる。

1軒目を出ると、家打診は明らかに早いため、
2軒目に新宿の夜景バーに移動。

ここでも俺はギラつきやハンドテストはせずに
穏やかに場を進行していく。
そしてバーを出たところで家打診。

「今日終電まで帰れば大丈夫だよね」

「うん」

「じゃあ〇袋に行ってもう少し飲もうよ」

「う、うん」

この時点で家に行くとは伝えていないが、
ひとまずタクシーで移動することに。
そして、家の近くのコンビニの前で降りる、

「アイスとかお酒買っていこうよ」

「どこかにお店に入るんじゃないんだ…」

俺は聞こえないふりをした。
彼女もそれ以上聞かなかった。

コンビニを出るとノーグダで自宅イン。
そして、部屋の中へ。
ソファに座って本棚を見てああだこうだ言っている。
久しぶりの新規ゴールを前に俺も緊張した。
相手は29歳のアラサー女性だ。
あっさりとゴールが決まるか、長いグダがあるだろう。
いや、それは年齢に関係はないか…。

俺もソファの横に座る。
手かして、といって手を握る。

「こういう風に握られるとドキドキする?」

「うーん、別にしないかな笑」

おいおいと突っ込んで、なごむ。
肩に手を回す。ノーグダ。

キス。グダ。
しかし、明らかに形式的なものだった。
力は全く入っていない。
それでもグダ崩しに15分ほどかかった。

そして、約3か月ぶりとなる新規ゴールを決めた。
2018年3ゴール目。

辻ちゃんはFカップだった。
スイッチが入った彼女は、自分から
その持て余すような胸でパイズリしてくれた。
ーそれが実際に気持ちいいかは別としてー 献身的な子だった。
やはり保育士だとか看護師はこうなのだろうか。

俺も久しぶりのセックスに盛りがつき、
しっかりとア〇ルまで舐めつくし
3回戦まで敢行した。

結局泊っていって、翌朝はファミレスで一緒にご飯を食べた。
しかし、当日別れた後にラインのやり取りをしただけで
その後はお互いに連絡をとっていない。
俺もまた会いたいと特に思わなかったし、
彼女の方もまたしかりである。

今年ゴールした子とは全員そんな感じだ。
俺からも連絡してないし、向こうからも来ない。
もちろん相手から連絡が来たら会うし、
さくっと飯食ってエッチできたらベストだが
現実はそうなっていない。
やはり瞬間的に相手を魅了することと
関係を継続させることは別物なのだ。
単純にエッチが下手なのかもしれない。
ア〇ルまで舐めつくしているのが問題かもしれない(笑)。

いづれにしても、いい歳してこうした繰り返している俺は
軽蔑される対象であろう…。完

街コン合流、おーい、俺はここにいるよ

5月某日の街コン。
いつものハピスマ。立食パーティー

ただし、この日は、ブログを見てメールくれた方と、
会場で新規合流する予定があった。

新規合流申請、これが存外に嬉しい。
俺のこのブログを見て、何かしら共感するものや、
面白さを感じ取って、わざわざ連絡してくれたわけだ。
結局、ブログでこうやって発信している、
それも具体的な名前を挙げて、っていうのは
誰かに俺という存在を発見してほしいからだ。
おーい、俺はここにいるよ。

会場で合流した彼は、見るからに知的そうだった。
そして物腰も柔らかい。彼に悪い印象を抱く人はいないだろう。
実際、有名大学を卒業し、超一流企業にお勤めされていた。
これには当然、インフェリオリティーコンプレックスの
極地にいる俺は面食らってしまった。
しかしだ、ここは俺の主戦場。
街コン会場、立食パーティーだ。
プロフィールカードに年収を記入する婚活パーティーではない。
肩書は同じような属性にいる女性か、
一部の勘違いしている女性にしか刺さらない。
保育士や看護師、ゆるふわOLが大半の街コンでは
最低限の身だしなみとトーク力さえあれば
誰もがスタートラインは一緒なのだ。(イケメンはもちろん有利だが)。

さて、挨拶もそこそこに、
(思っていたよりもさわやかですね、と言われた笑)
次の瞬間には、立食パーティーでの戦い方を偉そうに語っていた。
日頃から溜め込んでいる街コン理論を、
誰かに語りたくて仕方なかったのだ。
しかし、思うのだ。
俺には気持ち良く語る資格があるのではないかと…。
去年はハピスマに月に1,2回参加しただけで
30人もの女性とアポ組みできた男だ。
(ゴールできたかはまた別にして…)。
俺は知っている、ここに参加している男の大半が
アポ組みすらできずに散っていることを…。

いつまでも街コン理論にくだを巻いている訳にはいかないので、
まずは声掛けの前に、不自然にならないように2人の関係性を創作する。
会社のコンペで知り合ったという設定にしたが、
実際にそういうものが会社人にあるのか俺はよく知らない。

準備万端!いざ声掛け。
といっても、基本的に導入後すぐにセパレートする戦略だ。
当然のことながら、俺が話しかけたいタイプと
エリートさん(他に呼びようがないほどエリートだった)が話しかけたいタイプ、
話してみて波長が合うなと思うタイプも異なるため、
お互いにないなと思ったら、早々に切り上げることを良しとする。
合流してコンビでいくといっても基本は自主独立だ。
しかし、考えてみると、相方が盛り上がっているのなら、
たとえセパレートしてこちらが盛り上がってなくても、
相方がこの先ゴールすることを考えて、
俺が話している友達にも好印象を残すために最善を尽くすべきなのだ。
こうした協調性のなさに俺の人間性が現れているのだろう。
限られた時間のなかを有効的に動きたいと自分本位に動いてしまう。
友達が少ない原因はこうしたところにあるのだ。やれやれ。

さて、声掛けの導入部分は、色々偉そうに語った手前
当然こちらがリードすることになった。
いつもよりもテンション高めでグイグイいく。
横にいるエリートさんの反応をちらちらと伺いつつも、
俺自身も観察されているなと思ったら自然に力が入った。
エリートさんはこれまでも街コンに
何度か参加したことがあるようで
自然とセパレートしてくれて有難かった。

合流申請してくれた方と一緒に動けるのはなんだか心強い。
実際、去年からハピスマに行きすぎているため
今では会場で誰かしら知っている人に必ず会うし、
その場で即席コンビを組んだり、
無駄口をたたきあったりしてるのだが、
俺のブログのことは一切話していない。
沈黙は金というわけでもないが、
ペラペラ話してもいいことがないだろうし、
彼らがほとんど結果が出てないのも知っているからだ。
それに対し、エリートさんは、ブログを通してであるが、
俺がどういう人間であるか知っているし、
どういうスタンスで街コンに臨んでいるか知っているため、
気兼ねしないというか、格好つける必要もなく、
より実際的な行動をとることができた。実際的な行動…?

約2時間、コンビでいったりソロでいったりを繰り返していたので、
エリートさんがどのくらいの成果を残せたのかは分からない。
俺はというと6人とライン交換し、
ラインやり取りできたのが2人、
アポ組みできたのが1人という結果だった。

この日は二次会連れ出しに注力しなかったため、
会場を出て2人で反省会することに。
表参道屈指のおしゃれバーに入ったが、
テーブルチャージ1000円にたじろぐ俺に対し、
そんな気配は微塵もないエリートさんに人生の差を感じた…。
彼は準準即スタイル、つまり最初に街コンに参加し、
後日2回ご飯に行って十分に関係性を作ってうえでゴールを決める、
そのスタイルで結果を残しているようだった。
いまの俺は初回アポでゴールできなかったら
損切りする(される)スタイルを採用しているが、
当然時間をかけるとゴールできた案件も多々あるため、
彼の戦い方はも傾聴に値するものだった。

互いに再会を期して改札で解散した後、
やはり語りすぎたな、と寒々しい気持ちになった…。

そしてまたいつものひとりぼっちになった。
虚しい日々に戻るのだ…。

 

青春の記憶 ~ある個人的なナンパ史~

bukuro青年、二十二歳の頃の話である。

大学中退後、フリーター生活を続けていた青年であったが、いくら人生のレールから完全に脱線したとはいえ、このまま最終学歴中卒として生きていくほどの度胸は持ち合わせておらず、通信制大学に入り直し、幾分かの人生の立て直しを図っていた時期である。

 

青年は、東京の深夜の街を、自転車で疾走していた。目指す先はマクドナルド、通称マックである。そこで、朝まで時間を潰そうとする女性に声をかけるのである。ナンパしようというのだ。

青年は、長きにわたりひどく孤独だった。彼はこの時分、ハロヲタ活動、バイト、通信制大学、この三つを生活の中心としていた。

唯一の趣味といえるヲタ活動では、現場での知り合いはだいぶ増えて、コンサート終了後にそのまま居酒屋で打ち上げ的なことも慣行していたが、人間関係は当然の如く希薄なものであった。バイト先では、何分これは短期のうちにいくつものバイトを転々とするものだから、人間関係の構築など望むべくもなかった。通信制大学でもこれまた、スクーリングはせいぜい月に一度か二度しかないため、知り合いと呼べるような人すらできなかった。余談であるが、通信制大学には文字通り多種多様な年齢層、職種の方が通っており、勉学意欲に溢れた社会人とテーブルを囲んで授業を受けるのは、それなりに楽しかった。スクーリングは土日の二日間にわたって行われ、班を作り、グループワーク的なことをし、日曜の最後に班で発表するという形式の授業が大半であったが、乏しい社会経験と甘な了見しか具えていない青年には、その場を取り仕切ってくれる社会人学生の存在は随分と頼もしく思えた。加えて、これは青年のみが勝手に思い込んでいたに違いないが、ここに通っている人はみな学歴に傷を持ち、劣等感に苛まれているのだと思うと、なんだか同志のような気がして、居心地が良かったものだ。しかし、わずか二日間のつながりでは、それほど打ちとけることもできず、また懇親会などもあったが、結局はプライドが人一倍高い青年は、懇親会会場で大の大人が馴れあっている、自分と同様に繋がりを持とうと躍起になっている大人の、そんな光景を目にして、なんだか低レベルな集まりだなあ、と自らその機会を遠ざけてしまったのである(先に述べたことと矛盾しているが…)。

こうして、どこにも身を寄せるべき場所を持たない青年にとっては、同世代の女性と接点を持つためにはナンパをするしかなかった。ナンパに関しては早熟なほうであった。記憶の限りでは田舎に住んでいた十五、六歳の頃には地元の花火大会などで他校の生徒に声を掛けたりしていた。どうして、そのようなことをするに至ったのか定かではないが (いや記憶の限りを掘り起こすと、ロンドンハーツのスティンガーというホストによるナンパものの企画をみてを触発されたのかもしれない)、兎にも角にもわりとフランクに女性に声をかけることはしていた。そのため、高校を中退して、上京してからもナンパは続けられ、十代が同じ十代に声をかけるものだから、ガンシカされることは少なく、なかなかに上手くいくこともままあった。

さて、そんなある日、たまたま吉祥寺のマックで、深夜一時半すぎ、一人で音楽を聴きながらぼうっとしていた女性に声をかけたところ、あれよあれよとカラオケに連れ出し、即れたことがあった。それ以来、なるほど深夜のマックはなかなかにザルである、満喫に入る金さえない、乞食じみた女性なら簡単に連れ出せる、と妙なことを心得てしまったのだ。それからである、深夜のマックに通うことが習慣となったのは。

当時のマックには寛容さがあった。二十四時間営業の店舗では多くの場合、客席も開放しており、朝までコーヒー一杯で過ごすことができた。それがいつの間にか、経営上か、防犯上の理由かは知らないが、繁華街でも深夜は客席を閉鎖する店舗が増えていった。

青年が持ち場としていたのは吉祥寺か渋谷である (新宿や池袋にもたまに行ったが)。吉祥寺には三店舗、渋谷には (たしか) 四店舗、朝まで客席を開放していた店舗があった。深夜零時頃にその地に自転車で到着すると、まずは終電間際の駅前をぶらつきながら声掛けし、そして一時をまわると、各店舗に赴き、マックで朝まで過ごすことを決め込んだ女性がいないかと、店内をチェックする。該当する女性がいればすぐに声掛けし、いなければまた街中をぶらつきつつ路上で声を掛け、また適度な頃合いをみてマックに戻る。レジの前を素通りし、何も買わずに客席に向かう、また机に突っ伏して寝ている女性の肩をたたいて起こす、といったふてぶてしさも自然と身につけていった。

深夜の店内には、もちろん浮浪者風情のものから、いつも勉強している若者、険しい顔をして岩波文庫を読んでいる老齢者など、毎回見かける顔があり (当然男だが)、何人かはその存在がどうしても気になり、こちらから声をかけることもあった。渋谷の店舗で三日続けて両親と小さい子ども二人の四人家族を見かけたときは都会の闇をみた。

こうした活動は二十五、六歳まで続いていた。それなりに成果もあったが、引っ越しや、深夜の客席を閉鎖する店舗が相次いだこと、体力的に深夜に動き回ることがきつくなってきたことから、徐々に足が遠のいていった。何よりも歳を重ねることで、自分がこうした活動をしていることが情けなく、惨めに思えてきたのだ。

それでも、今でも週末の夜になると思い出す。あの頃の深夜の空気を。都会の喧騒がひと段落し落ち着きを取り戻した街の空気、そしてマックの店内の物寂しい雰囲気。成果がない日も多く、ただブラつくだけで家にとんぼ返りする日もままあったが、それほど虚しさは感じなかった。むしろ清々しささえあった。思えば同世代の大学生はサークル活動や、就活、卒業旅行などを通じて青春の甘美を享受しているというのに、自分は昼夜逆転した生活のなかで、深夜に一時間もかけて自転車を漕いでナンパしに行くことを楽しみにしていたのである。お気に入りの音楽やポッドキャストを聴きながら (これは現在では法令上禁止されているし、実際上も危険なのでやめたほうが賢明である)、今日はいいことあるといいなあ、と漠然と考えながら、かの地に向かう道のり、そして街中やマックをぶらついている時間が好きだった。

しかしである、清々しささえあったとうそぶいてみたものの、駅前でバカ騒ぎしている同世代の大学生風情グループを見かけると、やはりというべきか、病的なまでの嫉妬心で彼らを眺めていたのだ。それでも、自分はまだ二十代前半であるし、人生の再起動中であり、これから通信制大学から正規の (という表現は厳密には間違っているが) 大学に編入学することで、青春を謳歌する資格が残されているのだと自分は奮い立たせていたのである。

もっとも、本当に自分がいかに時間を無為に過ごしてしまったのか、と気づくまでには、もう少し時間が必要であった。そして、気付いたときは既に手遅れであった。青年はその後、無事に、とある大学に編入学することになるが、それまで、まともなコミュニティーで揉まれる経験がなかった青年は、他者との折り合いや距離感をうまく掴むことができず、そのうえプライドだけはどこまでも誇大化していたため、周りから疎まれる存在となるのであった……。

これは、まぎれもなく、bukuro青年にとっての、二十代前半の、青春の一小節である。